第2回 日月進歩 レポート

第2回 日月会シンポジウム(=日月進歩)の報告
朝比奈ゆり

2011年10月29日(土)、芸術祭でにぎわう鷹の台キャンパスにて、第2回日月会シンポジウムが開かれました。ご登壇いただいたパネリストは、伊坂道子氏(9期:伊坂デザイン工房)木岡敬雄氏(15期:竹林舎建築研究所)七田紹匡氏(21期:自給自足家)田邊寛子氏(31期:まちひとこと総合計画室)の4名。それぞれの活動についてのプレゼンテーション後、昨年につづき小倉康正氏(18期:武蔵野美術大学建築学科講師)の司会で座談会が行なわれました。以下、パネリストのみなさんと司会の小倉氏の所感です。


伊坂道子(9期)

「ホームカミングデー」の建築研究室は和やかでした。折りにふれ母校のムサビには通っていたのですが、芸術祭の日に来たのは卒業以来で、懐かしい気分になりました。
パネラーの皆様とは初対面でしたが、各分野でのご活躍は「技術の継承と創造」というテーマにふさわしく、たいへん興味深くうかがいました。私自身の活動報告は、設計の傍らで増上寺研究をすることになった足跡を振り返る機会となり、設計の世界を知ったからできた研究なのだ、と改めて思いました。
年代の異なる方々とわだかまりなく話せるのは、同窓であるありがたさと思います。懇親会には、かつて設計計画で担当だった元学生の方が二人来てくださっていて、就職されたとのこと、頼もしく、うれしかったです。
報告で紹介した妙定院展と増上寺ミニツアーのご案内しましたら、みなさん義理堅くお出かけくださって、とても感謝しています。妙定院展ツアーは会員の方が11、2名以上いらしてました。ありがとうございました。


木岡敬雄(15期)

芸祭期間中の武蔵野美術大学を訪れるのは三十年ぶりであろうか。構内には大きな建物が増え、のどかな雰囲気が残っていた在学当時とは様変わりである。しかし芸祭特有の活気は当時と変わりなく懐かしく感じられた。
大学を訪れたのは、日月会主催のシンポジウムのパネラーを引き受けたからである。テーマは「技術の伝承と創造」。参集されたパネラーの方々の活動は歴史研究、町並み再生から自給自足の営みなど、その内容は多義にわたっており興味深い話を伺うことが出来た。最先端の造形活動とは無縁のようでいて、実は現代社会の抱える問題とも関連しており、けっして見過ごすことは出来ない話であった。
私自身にとっても古建築の復元などを通して伝統技術の伝承の大切さを再確認するとともに、文化として古建築の魅力を伝えていく努力が求められているのではないかと感じた。


七田紹匡(21期)

僕は在学中の終盤、設計課題でほとんど設計らしいことをしませんでした。卒業制作には近未来SF小説を書きました。そのころから建築設計という表現手段が自分には向いていないと気づいたのですが、いつしか自分の人生そのものを作品にしてきた感があります。
百姓というのはある意味で「時間のデザイン」という営みをしているのだといえます。その中で表現手段は違っても創造性を十二分に発揮して人生をプロデュースすることができます。その一端をご紹介させて頂きました。今回パネラーの打診を受けたとき「他のパネラーがどんなメンツであれ絶対僕は浮くと思いますよ」と釘を刺しておいたのですが、シンポジウム後の懇親会で図らずも多くの方々に心情的に同調して頂けたことが分かり、とてもうれしく思いました。美系の建築科ならではの連帯感を卒業から四半世紀ぶりに噛み締めることが出来ました。この絆を広げて行ければと思います。


田邊寛子(31期)

10年近くぶりに武蔵美を訪れた。しかも芸祭、学校中にものづくりのエネルギーがみなぎって心が躍る。と同時に、その純粋な造形表現に昔の自分を投影し、甘酸っぱい気持ちになった。

武蔵美を卒業後、早稲田大学院、アーバンデザイン事務所に勤務後独立、まちづくりの仕事をしている。仕事と趣味も高じて地方・都心部などの地域興しや住民主体の活動に触れる機会が多い。
そこで武蔵美学生に出会う。地域を捉える目、価値を顕在化させ、人々に届けるデザイン。模索しながら、現場に入り、手を動かす。その行為そのものが、地域の「気づき」となる。荒削りながら、土地の記憶を読み造形することに挑戦している。
しかし、残念ながら、「武蔵美の建築」になかなか出会わない。

シンポジウムで、武蔵美建築は「良い意味での放任主義」が魅力と申し上げた。
学生はもっと社会へ、地域へ、飛び出していって欲しい。同時にその場を学生に提供するのは大学の役目と思う。
「活きる現場」へ放ってこそ、意味のある放任主義であると思う。
大学は「手が動く武蔵美」の強みを活かし、地域へもっと学生をつないで行って欲しいと思う。
武蔵美の益々の発展を願っている。


小倉康正 (18期):司会

「かよわい生き物」
それぞれの活動発表につづく第2部、フリートークの冒頭、パネラーのみなさんに投げかけたのは「どんな風景をみたいですか?」という質問でした。 みなさんの仕事がどれも風景というものにかかわっていると感じたからです。 あるいは自分の仕事だけに気を取られるのではなく、風景の中に自分の 仕事(作品)を混ぜ込んでみている。そういう視野を感じたからでした。
個人の営みはとても大切なものだけど、風景のようなさまざまなものの集合体は、個人だけでは成し得ない対象です。ですから逆に風景に対して無頓着になったり、自分の仕事のみに目をむけることも多いのではないでしょうか。パネラーのみなさんはどう考えているのだろう?というのがわたしの気持でした。

この具体的とはいえない問いに、みなさんとても真剣に応えていただきました。そしてみえてきたのは、「継続する」ということ。過去の大切なものを次の世代に受け渡してゆくことでした。
といっても、それら大切なものは、なにも特別なものではなく、普段の暮らしのなかに潜んでいる案外身近なもの。ただし、大事に育ててゆかないと死んでしまう、かよわく繊細な生き物なのではないか・・・。みなさんに通底していた感覚でした。

考えてみれば、目の前にひろがる風景というのはさまざまな過去を引きずっている(継続している)ものの集合体です。パネラーのみなさんは、物事をひっくり返すようなことではなく、大切なかよわい生き物をまもり育ててゆくことでその風景に関係しているようにみえました。そのような姿勢に、本当のクリエイティビティとはなんだろう?と、あらためて考えさせられました。


ブログで、当日の様子が報告されていますこちらもご覧ください。

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